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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)4154号 判決

原告

井澤猛

被告

髙田郁子

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇六万六六一四円及びうち金一八六万六六一四円に対する平成九年五月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一四〇四万一三五〇円及びうち金三八七万〇八一五円に対する平成九年五月一二日(訴状送達の日の翌日)から、うち金九八七万〇五三五円に対する平成一一年二月三日(訴変更申立書送達の日の翌日)から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、次の交通事故により傷害を負った原告が被告に対し、民法七〇九条に基づき損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実等(証拠によって認めた事実については証拠を掲記する。)

1(本件事故)

(一)  日時 平成八年六月二〇日午後六時四〇分ころ

(二)  場所 大阪府高槻市安岡寺町一丁目二番二号先路上

(三)  加害車両 被告運転の普通乗用自動車(大阪七七つ五六六三)

(四)  被害車両 原告運転の電動補助装置付自転車

(五)  態様 被告が加害車両を運転し、交通整理の行われていない左右の見通しの困難な交差点を北東から南に向かい左折進行し、右方道路から南進してきた原告運転の被害車両に加害車両右前角部を衝突させ、転倒させた。

2(責任)

被告は、加害車両を運転して、交通整理の行われていない左右の見通しの困難な交差点を北東から南に向かい左折進行するに当たり、同交差点手前には一時停止の道路標識が設置されていた上、同交差点は建物等のため左右の見通しが困難であったから、同交差点の停止位置で一時停止するはもとより、左右道路の交通の安全を確認できる位置で再び停止して左右道路の交通安全を確認して左折進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、交差点手前で一時停止したが、交通閑散に気を許し、左右道路交通安全を確認できる位置で再度停止して、右方道路の交通安全を確認することなく(乙一の2、6、12)、漫然時速約五キロメートルで左折進行した過失により、折から右方道路から南進してきた原告運転の被害車両に気づかず、被害車両に加害車両右前角部を衝突させて転倒させたものであるから、民法七〇九条の責任がある。

3(傷害)

頭部打撲、頸部捻挫、両肘打撲、腰部打撲、腹部打撲、左第九肋骨骨折

4(損害填補)

(一)  治療費 三〇万八一六三円

(二)  通院交通費 七万九六四〇円

二  争点

1  治療経過

(原告)

(一) 中村整形外科

平成八年六月二〇日通院

平成八年六月二一日から同月二九日まで入院九日

(二) 高槻赤十字病院

平成八年六月二九日から同年八月五日まで入院

高槻赤十字病院への転院は、本件事故により原告が当時治療を受けていた糖尿病が著しく増悪したためである(尿糖-、血糖値一三一から一九七mg/dlと安定していたものが、尿糖三+、血糖値三一四mg/dlとなった。)。

右入院中の平成八年七月二七日、脳梗塞を併発し、糖尿病、脳梗塞及び前記傷害の治療を受けた。

平成八年八月七日以降現在まで前記各打撲傷、左第九肋骨骨折及び本件事故が起因して併発した両座骨神経痛の治療のため通院している。

(被告)

(一) 争いのない傷害以外の病名と本件事故との間の因果関係はない。

(二) 原告は、長期に渡り、本件事故による整形外科的症状の治療を受けているが、自覚症状である背部から腰部の痛み、両下肢痛が主な症状であり、他覚的所見にきわめて乏しい。

したがって、原告の本件事故による要治療期間は、長くとも平成八年一二月末日までの六か月程度である(ちなみに、高槻赤十字病院は、平成九年四月一日で原告の交通事故による症状は治癒としている。)。

本件事故と因果関係を有する治療期間は、次のとおりとされるべきである。

〈1〉 平成八年六月二〇日中村整形外科通院

〈2〉 平成八年六月二一日から同月二九日まで中村整形外科入院九日

〈3〉 平成八年七月一日から同年一二月三一日まで高槻赤十字病院通院

2  後遺障害

(原告)

原告は、腰・下肢痛を訴え、平成八年八月以降高槻赤十字病院整形外科で、これに対する投薬、ブロック、理学療法に基づく対症療法を行ったが、著効なく、我慢できない疼痛に悩まされ続けているほか、外出恐怖、不安焦燥感、気分変調(抑鬱が基調)等の症状が持続し、症状が回復する兆しは見られない。

右症状は、本件事故による心的外傷後ストレス障害(以下「PTSD」という。)に基づくものであり(久留米大学病院精神神経科医師前田正治及び神戸大学医学部附属病院医師白川治によりその旨診断されている。)、後遺障害等級七級四号(神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当する。

(被告)

原告の訴えは、PTSDと診断されるべきものではない。

(一) 本件事故はPTSDの診断基準に該当しない。

(二) PTSDは、通常その原因となる事象から六か月以内に症状が出るものであるが、原告が前田医師の診察を受けたのは、平成九年七月八日であり、本件事故発生から約一年が経過した後である。

3  損害

(一) 治療費(未払い分) 五万〇九八五円

(1) 平成九年一二月一三日国立京都病院整形外科X線科 二七一〇円

(2) 平成九年二月二一日国立京都病院整形外科 五二一〇円

(3) 久留米大学病院 七六八〇円

(4) 神戸大学医学部附属病院 三万〇九七五円

(5) 処方箋調剤 四四一〇円

(二) 入院雑費 五万九八〇〇円

(三) 入院付添費(妻) 七万一五〇〇円

中村整形外科三日、高槻日赤病院一〇日

(四) 通院付添費(妻) 一〇万八〇〇〇円

高槻日赤病院三六日、一日三〇〇〇円

(五) 休業損害 一八八万円

原告は、本件事故当時、株式会社装英の営業部長として勤務し、毎月二〇日締め月末払いの約定で月額二〇万円の賃金を得ていたが、本件事故により平成八年六月二一日以降全く就労できないため、同日以降の賃金が支払われず、その総額は、平成九年三月三一日現在で一八〇万円となり、同額の損害を被った。

(六) 通院交通費 六七万六四〇〇円

(1) 平成八年八月五日から平成九年三月三一日までの高槻赤十字病院への通院交通費四二万八五七〇円から支払済みの七万九六四〇円を控除した残額 三四万八九三〇円

(2) 平成九年四月一日から同年七月三一日までの高槻赤十字病院への通院交通費 一九万五三一〇円

(3) 久留米大学病院旅費交通費 七万九八〇〇円

(4) 神戸大学医学部附属病院通院交通費 五万二三六〇円

(七) 文書料 一万四六六五円

(八) 入通院慰謝料 一三八万円

(九) 後遺障害慰謝料 九五〇万円

(一〇) 弁護士費用 三〇万円

4  過失相殺

被告は、本件事故現場の交差点に進入するに際し、一時停止した後、時速約五キロメートルで走行しており、一方、原告は、本件事故現場の交差点に進入するに際し、進行方向左側の交差道路を十分確認せず、高速で進行した過失があるから、少なくとも二〇パーセントの過失相殺がなされるべきである。

5  寄与度減額

原告の下肢痛については、原告が平成三年九月三日に第五腰椎、仙椎の椎間切除術を受けており、この手術後の馬尾神経根周囲の癒着という素因も寄与して下肢痛が発現したものと推測されるので、本件事故の寄与率は六〇パーセントとされるべきである。

第三判断

一  争点1(治療経過)

証拠(甲三ないし六、一一、一二、一九の2、3、乙二の1ないし3、三の1、四の1、2、五、六、一一ないし一八、証人前田正治、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、本件事故当日の平成八年六月二〇日、中村整形外科を受診し、頭部打撲、頸部捻挫、両肘打撲、腰部打撲、腹部打撲、左第九肋骨骨折により、約二週間の安静・加療を要すると診断された。

原告は、左側胸部痛、前進の打撲部痛が強いため、平成八年六月二一日から同月二九日まで右中村整形外科に入院した(九日)。

2  原告は、高槻赤十字病院整形外科を受診し、頸部捻挫、全身打撲、左肋骨骨折、腰部打撲、両座骨神経痛により、平成八年六月二九日から同九年三月三一日まで(実通院日数一九二日)(後記内科への入院期間を含む。)通院治療を受け、頸部捻挫、全身打撲、腰部打撲については、平成九年四月一日治癒と診断された。

その後の通院は、既往症である右根性座骨神経痛による左下肢痛の治療のためであった。

原告は、右期間内の平成八年七月一一日、MRI検査のため、医療法人進愛会深井病院を受診した。

右期間内の原告の訴えは、胸部痛及び打撲部の疼痛であり、PTSDを疑わなければならない精神症状は見られない。

3  原告は、平成八年六月二九日から同年八月五日まで、糖尿病、脳梗塞により、高槻赤十字病院内科で入院治療を受けた。

4  原告は、平成八年六月二〇日から平成九年七月三一日までの中村整形外科及び高槻赤十字病院への通院にはタクシーを利用している。

5  原告は、平成九年七月八日、久留米大学病院精神神経科を受診し(その三週間前にPTSDに関して前田医師が出演したテレビ番組を見て、同病院での受診を考えるようになった。)、前田医師の診断を受けたが、それは、原告が事前の自己の症状について手紙により知らせていたこともあり、同医師が右手紙による症状を確認していくという形式で行われている。

右問診の結果中には、次のものがある。

(一) 問:車を見ると怖いということがありますか。

答:車は全然信用できない。特に単車はだめ。タクシーも信用できない。車に乗るのもだめ。今は友人の車で送ってもらって通院している、怖さは運転している人次第です。女の人やチンピラみたいなのが運転しているのを見ると怖い。

(二) 問:車に乗るとかそうした場面を避けるということはありますか。

答:そういうことは意識的に避けてます。外出拒否というか、外に出るのがいやです。

(三) 問:事故当時のことがまざまざと頭の中に浮かんでくることは?

答:しょっちゅうあります。家の中にいてもあります。ほとんど四六時中(昼も夜も)ある。

(四) 問:悪夢を見ることがありますか。

答:見ます。

問:どんな内容ですか。

答:やっばり自分が自殺するというか、がけから飛び降りかけるとか。

問:寝るときにまた悪夢を見ないだろうかという恐怖はないですか。

答:あります。あと寝て薬が切れると頭が重い。立てないようなけだるさが続く。だから寝るのが怖い。

(五) 問:あなたは死ぬことを考えますか。

答:はあー。

問:もう治らないんじゃないかとか考えることがありますか。

答:はい。腰から下の激痛と心理的苦痛と両方がずーっと続いてて、子育ても終わったし、楽に死ねないかとか思います。ガンであと一か月の命といわれる方がまし。脳梗塞の後遺症とか出てきて、そのまま長いこと生きるのはいやです。

大略以上の問診の結果、前田医師は原告に対し、「原告の症状は典型的なPTSDですね。二回事故に遭われているから、二回目には症状が固着したといえる。PTSDでは怖いものを避けるようになります。最初はそれでいいが、そうしていると次第に恐怖は固着していきます。」と話している。

前田医師が原告を診察したのは右一日だけである。

6  原告は、昭和六三年から高槻赤十字病院内科で糖尿病と診断され、本件事故当時も通院により経過観察中であった。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

右によれば、本件事故と相当因果関係の認められる治療は、中村整形外科への入通院及び高槻赤十字病院整形外科への平成九年三月三一日までの通院というべきであり、糖尿病治療のための高槻赤十字病院への入院及び右平成九年四月一日以降の通院は、原告の既往症である座骨神経痛に治療のためと認められるから、本件交通事故との間に因果関係を認めるには至らない。

二  争点2(後遺障害)

1  前記認定のとおり、原告の訴えのうち、打撲部の疼痛は他覚的所見はなく、平成九年四月一日段階では治癒したものと認められ、右について後遺症が残ったことは認めるには至らない。

2  次にPTSDについて判断する。

甲第一号証(久留米大学精神神経科学教室医師前田正治作成の平成一〇年二月五日付井澤猛氏に関する診断書及び意見書と題する書面)には、次の記載がある。

(一) 受診時の精神医学的状態

(1) 意識は清明である。

(2) 頭部CT上、全般的な脳萎縮や小さな脳梗塞巣を認めるが、失行や失認、あるいは痴呆症は認めない。したがって患者の認知機能は正常と考えられる。

(3) 来院時の主たる精神症状は、自動車をはじめとする交通手段に対する強い恐怖感である。強い驚愕反応や不安発作、フラッシュ・バック(自動車を見るなどの関連刺激により誘発される恐怖感)も認め、結果としてそれらの刺激を極力回避する傾向や外出恐怖が認められる。これらは日常生活に支障を来すほど重篤なものである。

(4) 頻回の悪夢を伴う不眠(中途覚醒)や、入眠恐怖が認められる。

(5) 現実感の喪失や離人感、集中力困難などを認める。

(6) 焦燥感や強い怒り、絶望感などの存在。基本的に情動不安定である。

(二) 診断的根拠

(1) 患者は平成八年一月二六日と同年六月二〇日に交通事故に遭遇している。そして上記症状は、CTなどの画像診断は別としても、その全てが事故後(特に二度目以降)に出現している。

(2) 事故以前の患者は社交性に富み、社会適応に格別の問題はなく、精神科的既往もなかった。

(3) 上記症状はいずれもPTSDの典型的症状であり、世界保健機関による「疾病と関連する健康問題についての国際統計分類、第一〇改訂版(ICD―一〇)」のPTSD(F四三・一)診断基準を満たすものである。

(4) 以上により、当該患者は二度の交通事故に遭遇したことによる心的外傷後ストレス障害であると考える。

しかしながら、右診断経緯は前記認定のとおりであり、その前提としている点について、証拠(乙五、六)によれば、原告には、六〇歳ころうつ病と診断されていることが認められ、精神科的既往があること、自動車に対する恐怖については、前記認定のとおり通院にタクシーを頻回に利用していることにおいて、誤りがあり、また、交通事故被害者が相当の精神的ストレスを受けることは自明であり、右について、通常の損害算定を超えて損害が発生することの原因としてPTSDを位置づけるとすると、右については、相当の根拠が示される必要があるものというべきであるが、右前田医師の診断については、前記指摘の点及び診察方法に疑問があるというべきであり、本件事故の態様も交通事故として激烈なものとまではいえず、その結果も肋骨骨折はあったもののそれほど重篤なものではないことからすると、原告が主張する外出恐怖、不安焦燥感等の症状(原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述部分が存する。)についてもそのまま信用して良いものか疑問があり、前田医師のPTSDの診断が正当なものかについても疑問がないとはいえず、少なくとも、本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。

甲第二号証(神戸大学医学部附属病院精神神経科医師白川治作成の平成一〇年七月七日付診断書)には、診断名心的外傷後ストレス障害、右症により、外出恐怖、不安焦燥感、気分変調(抑うつが基調)等の症状が持続しているとの記載があるが、これについても、本件事故と相当因果関係を認めるに足りる証拠とはいえない。

三  争点3(損害)

1  治療費 三〇万八一六三円

本件事故と因果関係の認められる治療費は、支払済みの右金額である。

2  入院雑費 一万一七〇〇円

中村整形外科への入院九日間について、一日当たり一三〇〇円として算定するのが相当である。

3  入院付添費(妻)、通院付添費(妻)

必要性を認めるに至らない。

4  休業損害 一二〇万円

証拠(甲八の1、2 原告本人)によれは 原告は、本件事故当時、株式会社装英の営業部長として勤務し、平成七年の給与は二四〇万円であったこと、本件事故により平成八年六月二一日以降就労していないことが認められるが、本件事故による受傷の部位、程度及び前記入通院状況からすると、休業期間としては、本件事故六か月とするのが相当であるから、休業損害は、一二〇万円と認めるのが相当である。

5  通院交通費 七万九六四〇円

本件事故と因果関係の認められる治療費は、支払済みの右金額である。

6  文書料 五四〇五円

証拠(甲九の1ないし3)によれば、本件事故と因果関係のある文書料は、次のとおりであると認められる。

(一) 交通事故証明書 一八〇〇円

(二) 中村整形外科付診断書二通 三六〇五円

7  入通院慰謝料 九〇万円

本件事故と相当因果関係のある原告の受傷の部位、程度及び入通院状況からすると、入通院慰謝料は九〇万円と認めるのが相当である。

8  後遺障害慰謝料

原告には、本件事故と因果関係のある後遺障害慰謝料を認めるべき後遺障害は認められない。

9  以上を合計すると、二五〇万四九〇八円となる。

四  争点4(過失相殺)

証拠(乙一の2、5ないし7)によれば、原告が進行していたのは被告進行道路に対し優先道路ではあったが、本件衝突時加害車両の速度は時速約五キロメートルであったこと、本件事故現場の交差点に進入するに際し、進行方向左側の交差道路を十分確認せず、やや速めの速度で進行した過失があるから、前記損害額からその一割を過失相殺するのが相当である。

そこで、前記損害額二五〇万四九〇八円からその一割を控除すると、二二五万四四一七円となる。

五  争点5(寄与度減額)

証拠(乙六、弁論の全趣旨)によれば、原告は、平成三年九月三日に第五腰椎、仙椎の椎間切除術を受けていることが認められるが、前記認定の損害の範囲においては、右を理由に寄与度減額をしなければならない事情は認められない。

六  損害填補(三八万七八〇三円)は当事者間に争いがないから、これを前記二二五万四四一七円から控除すると、一八六万六六一四円となる。

七  弁護士費用 二〇万円

本件事故と相当因果関係の認められる弁護士費用は二〇万円と認められる。

八  よって、原告の請求は、二〇六万六六一四円及び弁護士費用を除く一八六万六六一四円に対する訴状送達の日の翌日である平成九年五月一二日(記録上明らかである。)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 吉波佳希)

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